今年も半分が終わろうとしています。
今日と明日で増毛山道の草刈りの予定でした。
何年も前から山道復活の話しはありましたが、いよいよ実現と思った矢先に地主さんとのトラブルがあり、草刈りは延期になりました。
この山道は民有林、道有林、国有林が複雑に絡み合っていて、国定公園内と言う事もあり各所への調整が大変な事があります。
このあたりは山道の会の重鎮さん達が解決してくれると思いますが、山道の整備がある程度できたとして、駐車スペースをどう確保するのだろうと前々から思っていました。
前方は海、背後は山の僅かなスペースに国道と民家があり、近くに公共駐車場はなく、濃昼山道の様に駐車スペースを確保するのが絶望的な狭さです。
数年前の三月に別苅から御内まで歩いた時も一番の問題は駐車スペースを探す事でした。
その時は民家の周りを駐車できる場所を探して(実際はなかったのですが)走り回っていた時に、不審に思ったのか住民の方が出て来て事情を話した所、その方の敷地内に二日間駐車させて頂けて歩く事ができました。
そしてもう一つ問題があります。
山道は雄冬山-浜益御殿を通る為に道が復活するまでには何年もかかると思うので、天狗岳と雄冬山のコル(岩老との分岐)までが最初の目標になると思いますが、二本の林道が近くをはしっていますが、仮に林道が開放されたとしても年々、雨裂が酷くなってきているために、そう遠く無い時期に乗用車での通行が難しいなることは容易に想像できます。
そのために別苅からの往復にならざるを得ない事になりますが、この区間のクライマックスである武好駅逓や武好橋、旧通行屋跡などは全て区間の後半に凝縮されているために、良い所だけ摘んで歩く事ができない難しさがあります。
まだまだスタート地点に立ったばかりですが、今年は何度か山道整備が予定されていて、遠方のなってしまいましたが出来る限り手伝いをする予定です。
今年はどこまで整備ができるのか楽しみです。
最近、寝る前に実家の書棚で見つけたランボー詩集を読んでいます。
ランボーだからと言って「ゲリラ戦の悲しさ」とか「祖国も僕を愛して欲しい」とか、そんな事をうたった詩ではありません。
10代ならいざ知らず、50代を目の前にした汚れた?人間の感性ではランボーの詩はきついかなと思いましたが、30年ぶりに手に取った詩集からは、そのみずみずしさは年齢を重ねても変わらないのだと感じました。
繊細さと粗雑・乱暴さが入り交じった美しい詩を読んでいると忘れかけていた10代の自分が脳裏の向こうに浮かんだ気がしました。
どの詩も素晴らしいものばかりですが、「永遠」、「夜明け」が特にお気にいりです。
30代で亡くなったランボーですが、20代、30代の詩も読んでみたい気持ちもありますが、10代での僅か3年程の創作活動だったからこそ、こんな美しい詩を残せたのだと思うのは僕だけでしょうか。
Patricia Barberの「A Fortnight in France」の事も書こうと思いましたが、長くなりましたので次回にでも。
横綱、Star Trekを見にいったのですね。
絶対に見に行くと思っていたので誘ってみようかなと思っていたのですが残念。
いつも一人で見に行く横綱の姿を思い浮かべると哀愁を感じますが、男二人でにゃにやしながら見ている姿を想像すると、それはそれで不気味かななんて思ったりします。
しょうもない事を書いてすいません。
バシィ
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